命を賭して維新回天に尽力した、中岡慎太郎

高知県安芸郡北川村出身

幕末、維新に活躍した中岡慎太郎

中岡慎太郎像 徳川の幕府が弱体化し、武家社会の矛盾がやりばのない怒りとなって民衆の心を動揺させていた時代、幕末。その幕末に中岡慎太郎 は埋めれ、疾風のごとく生き、そして死んだ。わずか29年と7ヶ月の短い生涯ではあったが、維新に果たした功績は計りしれない。誰もが着眼しなかった薩長連合を坂本龍馬と共に成し遂げたばかりでなく、討幕の為の公家どうしの協力体制を築いたことなど、一片の私心があるわけ でなく、公憤に燃え国事にその生涯をささげ尽くした査証であろう。秀才と呼ばれた慎太郎。農民の心の痛みもわかる慎太郎。天下の志士と渡り合った 慎太郎。高知県安芸郡北川村柏木に、中岡慎太郎館が建立され、生家が復元されています。

中岡慎太郎 略年譜

柚子を生産する北川にある中岡慎太郎の生家

中岡慎太郎の生家にある箪笥の上に置かれたあった説明文です。本品は中岡家で奉公した「おぬいさん」に中岡より贈られたものである。同女は嘉永元年生(1848) 長じて10才の頃より中岡慎太郎先生宅に行儀見習として奉公する。文久3年頃(15才頃)婚約整い道家を去るにあたり贐(はなむけ)として箪笥2棹をおくられる。大事に使い後年孫娘の嫁ぐ時その内の一棹を記念品として持たせ、このほど生家へ展示するため当人(孫娘)より寄贈されたものです。文久3年は先生脱藩の年でもあります。昭和59年8月記(水洗いのためハゲ落ちているが僅かに残るウルシ塗りにご注意ください。)

中岡慎太郎の記録(生家にある立て札より)